つーのも、おかしいな。
もともと、GvGのみを目的として設立されたギルドの場合は、
問題は起こりにくい。
……ほんとうに、GvGだけのためのギルドはね。
そういったギルドは、本当の意味で、
GvGがやりたいメンバーが集まっているため、
全員が其れに対して意欲や向上心があるので、
メンバー全員が、お互いを高めあう環境があり、
これからも、GvGを楽しむために最適な、
そういった関係が、好循環が発生する。
手段や目的は、ギルドによりそれぞれだろうけど、
それに向かって全員が団結できる。
お互いが同じギルドに所属する彼等の中での、共通点は、
”GvGを遊び、楽しむ”ということ。
だが、GvGそのものが目的ではなく、
別のきっかけで、例えば、
何かの派生として生まれた場合、如何か。
例えば、FMを例に挙げると、
もともとは、GvGを楽しむという目的ではなく、
仲の良い身内同士の遊びの場、交流を目的として、
設立されたものだ。
最初のうちは、皆でワイワイ、楽しんでいただろう。
それこそ、立ち回りや戦術など、難しい事は抜きにして、
皆で遊ぶという目的は、達成出来ていたと思う。
そう、僕等の中での共通点は、
”楽しむ”という事だった。
ただ遊び、楽しむこと。
最初のうちは、
「GvGは楽しむための手段」
でしかなかったのだ。
目的を見失わないうちは、
溜まり場での、身内のGvG参加率も、とても高かったし、
本当に最初期のFMを知ってる人なら、
その様子も分かるだろう。
しかし。
もともと、”GvGそのものが目的でないギルド”が、
長くGvGをやる事で、発生してくる問題が、
ギルドメンバー同士の、価値観の違いである。
分かりやすく簡単に言えば、
「手段が目的に変わる」
と言うことである。
例えをだすと、
「GvGとはやりこめばやり込むほど、
奥の深い遊びであり、
拘りだすとキリがなく、
突き詰めれば突き詰めるほど、面白い。」
と感じるプレイヤーと、
「楽しむためにやってるゲームなのに、
どうしてそこまで必死になるのかな?
そんなに頑張らなくても、適当でいいじゃん」
と感じるプレイヤーの二種類が居るということ。
細かくはさらに分類されるだろうけど、
大体がこのふたつに分類される。
分かりにくい例えだったけど、伝わったかな?
最初に話した、
”GvGを遊び、楽しむ事”が目的のギルドの場合、
前者の考えをもつプレイヤーのみが集まる。
だから、ギルドメンバー全員が同じ方向を向いているし、
価値観も意思も、全員がお互いに近いものを持っている。
もともとの目的の達成を阻害するような問題は、
起こりづらい。
だけど、ただ、
”楽しむ”ことだけが目的のギルドの場合、どうだろう?
GvGは楽しむための手段であり、ギルド内には、
価値観の違うプレイヤーが、多数存在する。
つまり、GvGをトコトンまで楽しみたいプレイヤーと、
そこまでしたくないプレイヤーが混ざり合った空間であるということ。
ギルドメンバーがバラバラな方向を向いているし、
纏まるものも纏まらない。
纏めようとすると、どちらかが妥協することになり、
それは即ち、最初に掲げた目的である、
”楽しむ”ということを、達成できないということ。
温度差、ですね、
ギルド内での。この差が広がるにつれ、
”GvGは楽しむ手段”ではなくなり、
参加者を絞る結果になってしまったのが、今のFM。
と、客観的に考察している。
僕はFMを纏め、引っ張らなければいけない立場だったけれど、
経験が浅すぎた。
どうしていいのかも分からず、
ただがむしゃらにやってきたけれど。
一つ自分で把握している反省点は、
自分の価値観を前面に出しすぎたこと。
自分では意識していなくても、
”何も考えずにGvGに臨むようなプレイヤーは要らない”
という雰囲気を作り出し、纏わせていたと思う、
僕自身が。
楽しむ筈だった場を、居心地の悪い空間に変えてしまった事が、
すごく申し訳ないという気持ちがある。
その点、牡丹さんが居た頃は、
即ち、牡丹さんが纏め役だった当時は、
ギルド内に”温度差”が生まれるのを、
予防し、回避し、なるべく抑えるという挙動が取れていた。
その結果は良好で、
”楽しむ”という目的のために、
FMは上手く運営され、まわっていたように感じる。
これはとても難しい事で、パワーも労力も相当に、
必要になる。ある意味、”GvGそのものが目的”のギルドよりも、
ずっと辛い。
違う価値観のプレイヤーの、纏め役になるんだから。
そういった点は、昔から変わらず、尊敬してる所なんだけどね。