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足元になるとスタイルがよりできてくる

土曜Gv

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7-8月ごろ

(笑)

(笑)

関係ないんだけど、
昔の日記みてて、今と比べて思ったのが、
文章を書く機会が減ったというか、
語りたい事がなくなったというか、
喋ること説明することが面倒くさくなったというか、
明らかな変化感じるんだよね。

昔は喋っていたかったし、
常に何か発信しておきたいって気持ちがあった。

読んでもらった人に、印象が残るように、
一度でも文章みたらどういう形であれ、こいつ気になる、と思わせるように、
意識して書いてた。

自己顕示欲というより、
文章コンテンツの在り方を考えてたんだよね。
というか、ブログというか、ウェブサイトの在り方、というか。

ROでもそのほかの考え方でも、要領悪いくせに効率厨だったから、
意味のないものを毛嫌いしていた。

意味のないものは、価値のないものであって、
どんな事に価値があるのかは、人によるよね。

うちの考える価値のあるものって、
心動かされるものだった。

つーても、大袈裟に感動したーとかじゃなくて、
ウェブサイトとして、ブログとして、
読者が、うちの記事を見たことによって、少しでも、
何かを考えてくれることが、
ほんの一ミリでも心が動くことが、
文章の価値であって、本質だと考えてた。

その考えた事が、
こいつきもいとか、こいつ痛いとか、
どんだけ偉そうなんだあたまおかしいとか、
そういう事でもいい。
少しでも筆者である葉書のこと考えてくれたって事だから。

つまり、読んで何も感じない文章は、
当時の自分にとって、価値のないものだったし、
無意味だし、効率厨に自分にとっては、嫌いなものだった。

だから、まわりくどい、分かりにくい書き方で、
皮肉っぽくて、上から目線で偉そうで、
そうなるように意識して書いていた。

これは当時のROのモチベやスタイルにも繋がることなんだけど、
こうでもしないと、
自分が一番AXで強くなくてはいけない、
というプライドと自尊心を、守れなかったからなんだよね。

そうまでして、強がっていたかった。

実際気持ち悪いって思われてることは、
その人に対して何も思ってないことより、十分意味のあることだと、
自分では思ってたし、
何の感想も持たれないよりも、満足だった。

反応があれば、もっと煽るような書き方しようと思ってた。

今はもうだって、
守りたいプライドや自尊心もなくて、
伝えたい事もなくて、
語りたい事も、ないしなあ昔ほどは。

昔は、どういう形であれ、読んでくれた誰かのためにって意識しながら、文章や記事を書いてた。

今は、自分に向けてのものになってる。
他人にとって、価値がない、面白くないのは、当然。
読み手の事、意識してないからなー